開襟シャツ&昭和エッセイ シュガ・プラム・フェアリ  
 
 エッセイ
  当サイトでは気ままに60年代以降の昭和の思い出をエッセイとして綴っています。記憶違いや思い込
 み、うろ覚えで書いたものもあります。ご理解いただいたうえ、お読みいただければと思います。また、
 このような性質のエッセイですので、記述に誤り等ございましたらBBSでご指摘いただけると幸いです。
  プロローグ 一丁目の朝日   ’60s
 有名なマンガ[映画]のパロディ…… というわけではないが、1960年といえば昭和でいうと35年。当時私が住んでいたのが○○町「一丁目」。お向いさんの名前が「朝日さん」だったので、ちょっとニュアンスを拝借して、このエッセイのプロローグ・タイトルとしてみた。 エッセイ 昭和30年代
 ……ということで、これから'60年代以降の昭和をテーマにした気ままなエッセイを綴っていきたいと思う。しかし如何せん、60というと私はまだ幼稚園に入った頃。さすがに記憶はおぼろげだ。それでも、'60年代前半のことなら覚えている。映画「Always三丁目の夕日」で描かれていた情景は、ほとんど自分が目にしてきたものである。確かに今と比べると貧しく、物のない時代だった。我が家には父のスクーターしかなく、自動車は小学生になってからやってきた。
 あの映画の舞台は59年の東京だったが、私が住んでいたのは東京ではなかったので若干様子は違う。しかし大同小異で、当時舗装道路なんてものは幹線道路だけで、ほとんどの道は砂利道。そこには木製の柱に裸電球に笠を付けた外灯が、点々と設置されていた。各家の前には、木製やコンクリート製の外枠で扉と蓋の付いたゴミ箱が置いてあった。このゴミ箱、今考えてみると蓋付きなので、カラスに荒らされることがなくてよかったような気もする(実際には衛生面で問題があったようだが……)。
1960年頃の風景    立ち並ぶ家々も、ほとんどが木造。今のように外壁にモルタル塗 りなどはあまりなく、焦げ茶色の板がむき出しの家だ。窓や出入り 口の鍵はねじ込み式で、薄いガラスがはめられていたが、それだけ では物騒なので、外側には木戸が付いていた。アルミサッシが一般 家庭に普及したのは65年頃からだから、それまでは空き巣に入ろ うと思えば簡単だったことだろう。トイレは当然汲み取り式。今じ ゃキャンプ場だって水洗だというのに……。お勝手の流しは石でで きていて、水道の蛇口をひねると、お湯じゃなく水が出る。冬場は 厳しかった。ガス台も、黒い鋳物のような金属でできたごついもの だった。もちろん自動点火なんかなく、マッチが大活躍だった。ほ かの家庭用品も、その頃は旧から新への過渡期で、冷蔵庫(木製の 分厚い扉の付いたもので、そこに大きな氷を入れて冷やした)や炬 燵(掘り炬燵で、炭を置く場所があった)も旧式のもの形跡が残っていた。'60年代初頭になるとさすがに冷蔵庫も炬燵も電化され、実際に使ってはいなかったが……。また、洗濯機は、例のローラー 
式絞り機付きのものが重宝がられた。
 そしてテレビ。新しもの好きの父のお陰で、家には早くからテレビがあった。モノクロだが、高級品ということで周りにひだの付いた立派な刺繍のある布製のカバーがかかっていて、見る時はそれをまくり上げて見るのだった。演劇並みである。ときどき近所の人が見にきていた。

 おもしろいのは風呂で、最初の頃は薪で焚いていた。「バスタブ」はまったくの木の桶で、そこに釜が付いていて石炭と薪で湯を沸かす。釜からは煙突に続く管が延びていて、風呂桶の一部を通って屋根に抜けている。桶内の煙突に続く管の近辺には仕切りがあって、小さなスペースがあり、そこに水を張って沸いたお湯が上がり湯となる。シャワーなどというものがなかったので、上がり湯で身体をきれいに洗い流して風呂から上がるのである。我が家ではガスに変わってからも、しばらくこの上がり湯の付いた風呂桶を使っていた。
 私が住んでいたのは街のど真ん中で、それでも賑やかな方だった。隣はアルバイト・サロン(当時流行ったキャバレーのような店)で、毎晩バンドのジャズやハワイアンの生演奏が聞こえていたし、はす向いはビリヤード場で、私はいつもその店の窓から大人の世界をかいま見ていた。
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