開襟シャツ&昭和エッセイ シュガ・プラム・フェアリ  
 
 エッセイ
  当サイトでは気ままに60年代以降の昭和の思い出をエッセイとして綴っています。記憶違いや思い込
 み、うろ覚えで書いたものもあります。ご理解いただいたうえ、お読みいただければと思います。また、
 このような性質のエッセイですので、記述に誤り等ございましたらBBSでご指摘いただけると幸いです。
  テニス黄金時代 ボルグ vs マッケンロー その2  ’70s '80s
 聖地ウィンブルドンのタイトルこそが最後の砦であり、ディフェンディング・チャンピオンのボルグがこれを守るか否かが最大のポイントだった。マッケンローはサーブとボレーが得意なネット・プレイヤーで、芝生のコートのウィンブルドンで最もその威力が発揮される。対してボルグは強烈なトップ・スピンをかけたストローク戦を得意とする土のコート向きの選手なのだが、慣れない戦場のはずのウィンブルドンでは果敢にネット・プレーもこなし4連覇している怪物なのだ。
 世紀の大一番は1980年。ついにこの2人の天才がウィンブルドンの決勝で激突した。世界中のファンが固唾を呑んで見守る中、試合は始まった。第1セットはあっさりマッケンローが先取した。ボルグは不利とみるや第1セットは捨てて、来たる第2セットに向けて力を溜める戦術に切り替えたように見えた。そのとおりに第2セットを取り返すとその勢いで第3セットも連取して王手をかけた。そして運命の第4セットはお互い譲らずタイ・ブレークにもつれ込んだ。伯仲した攻防でついにボルグがマッチ・ポイントを握ったが、すぐ
さまマッケンローが切り返す。以後、ボルグのマッチ・ポイントとマッケンローのセット・ポイントが目まぐるしく訪れる。会場内からは悲鳴があがるほどピリピリした雰囲気になった。空気は重くなり、見ている私も息苦しくなるほどだった。
 結局、7回ものマッチ・ポイントを凌いでマッケンローが逆転し、タイ・ブレークを制しセット・カウント22でファイナル・セットにもつれ込んだ。ここで私は勝負あった、と思った。大抵はタイ・ブレークを制した方がその勢いで勝ってしまうことが多いからだ。しかしながら、ボルグは息を吹き返し第14ゲームにマッケンローを押し切って勝利したのだ。あの死闘タイ・ブレークですでにマッケンローの方も余力が尽きてしまったのだろう。勝利の瞬間、ひざまづいて天を仰ぐボルグの姿に私は感動した。

 しかし余韻が冷めると正直な話、どんどん地力をつけてきたマッケンローの攻勢を今回はなんとか寄り切ったという感じで、今後のウインブルドンは厳しいかな、という予感がした。そして、翌年は決勝戦で6連覇を阻んだマッケンローが優勝杯を誇らしげに掲げることになった。
 悪童マッケンローもその人柄が知れると親しみを感じるようになり、私も応援するようになった。(相変わらずトラブル・メーカーだったが……)その後、ボルグは一気に頂点を駆け抜けた反動なのか、26歳という若さで引退してしまった。好敵手ボルグを失ったマッケンローだったが、その後はベテランのコナーズや進境著しいレンドルとしのぎを削ることになる。
 こうして今、あの名勝負の頃を振り返るとボルグ、マッケンロー、コナーズの3人の天才たちは本当に光を放って輝いていた。現代テニスではサンプラスやフェデラーといった天才たちがとてつもない優勝記録を樹立したが、あのテニス黄金時代のスーパースターたちには敵わないのではないだろうか。
 サンプラスはボルグとマッケンローのあの死闘をビデオ観戦して「まるでスローモーションを見ているようだ」と語っていたが、木製のラケットと新素材のラケットではパワーが桁違いで比較にならない。それにあれほどの好敵手たちが全盛期にひしめき合った時代は最近とんとみられない。
 マッケンローやボルグが激突するグランドスラム大会は、我々が「伝説」の目撃者になれる可能性を秘めていたから、ワクワクしたのだ。あれはもはやテニスを超えた社会現象といえるほどだったのだから……。
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