60年代の後半、私がまだ小学生の頃の話である。毎週日曜日になると、朝、父は私たち兄弟を車に乗せて自宅の周りをグルッとドライヴしながら、公園に連れていってくれた。特定の公園ではなく、今日は南方面、来週は西方面と、車でいろいろな公園を巡るわけである。まだ週休2日の時代ではなかったから、父にしてみれば貴重な休日。今考えると子煩悩な父だったと、つくづく思う。他界して久しいが……
ところで、今回のテーマは「父の思い出」、ではない。父が連れていってくれた公園へ行く時にカー・ラジオから流れていた番組のお話、である。
その頃我が家ではなぜかラジオはニッポン放送にチューニングが合わされていた。誰の趣味かはわからないが、平日は山谷親平の「空からおはよう」や「おはようニッポン」などからはじまり、ラジオのスイッチが入るとニッポン放送の番組が聞こえてくるようになっていた。そんなわけで、カー・ラジオから聞こえてくるのもほとんどニッポン放送だった。
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日曜の朝のニッポン放送をつけていると、ゆったりとした「メイム」のメロディが流れてくる。そして、美声のパーソナリティ、ロイ・ジェームズの「不二家 歌謡ベストテン」というコールが入る。子供ながら、この番組が始まると「あー、日曜日なんだなぁ。楽しいなぁ」などと感じたものである。
ロイ・ジェームズはロシア系のタレントで、歌番組の司会や当時のバラエティ番組に頻繁に顔を見せる売れっ子。ロシア系といっても日本語は流暢で、歯切れのいい江戸弁をしゃべる外国人タレントということで人気があった。ロイ・ジェームズはこの番組を、西銀座のサテライト・スタジオ |
から放送していたのだが、今思うとサテライト・スタジオからのラジオ放送のはしりだったのではないかと思う。
番組の方は、はがきによるリクエストとレコードの売り上げ+有線放送やジュークボックスでの人気など、説得力のある選定方法で決めるベストテン番組。今でこそ「ベストテン」と聞くとTBSテレビの「ザ・ベストテン」を思い起こす人が多いのではないかと思うが、当時は「ベストテン」というタイトルのついた音楽番組がたくさんあった。そんな中でもこの不二家 歌謡ベストテンは、結構信頼できるランキングをしているように感じていた。ただ、お決まりの「一社提供」だったので、不二家と競合する会社のCMソングがランクインしたかどうかは定かでない。
私は父が公園に連れていってくれなかった時もこの番組を聴くようになっていった……自ら積極的に。そう、この番組で荒木一郎や加山雄三、GSから南沙織や天地真理といったお気に入りの初期アイドルなどの歌声とランキング状況を楽しみにするようになってしまったのであった。
しかし、徐々に私の興味・関心は徐々に歌謡曲からポップスへと移っていった。ちょうどこの番組の直前に、元ニッポン放送社長の亀渕昭信(当時、通称カメ)が「ポップス・ベストテン」という番組をやっていて、こちらをメインに聴くようになった。聴くラジオも朝から深夜へとシフトしていったのだった。 |