開襟シャツ&昭和エッセイ シュガ・プラム・フェアリ  
 
 エッセイ
  当サイトでは気ままに60年代以降の昭和の思い出をエッセイとして綴っています。記憶違いや思い込
 み、うろ覚えで書いたものもあります。ご理解いただいたうえ、お読みいただければと思います。また、
 このような性質のエッセイですので、記述に誤り等ございましたらBBSでご指摘いただけると幸いです。
  ビートルズ考2 ジョージ・ハリスン  ’60s
George Harrison

 ジョージ・ハリスンの誕生日(2月24日)が迫ってきたので、ジョージのことに想いを巡らせてみたいと思う。ジョージは1943年生まれで、ビートルズのメンバーの中では最年少。実際彼自身、4人兄弟の末っ子だったことを考えると、バンド内でのジョージのポジションは、彼にとっては決して居心地の悪いものではなかったのではないか。実際、ポール・マッカートニー(メンバーの中で最初に知り合いになったのが、同じ学校の先輩ポールだった)には弟のように接していたようだ。もっとも、その後ジョン・レノンと出会ってからは、完全にジョンの弟分(というより子分?)になったという話だが……

 子供の頃のジョージは、けっこうな悪ガキだったそうだ。ただし、率先して何かしでかすというのではなく、放っておけば悪さはしないというタイプで、テディ・ボーイのような派手な格好で学校に行っていたらしい。どちらかといえばあまり明るいタイプではない(不良)少年だったようである。ギターも12歳頃から始めていて、母親の励ましで必死にギターの練習をしたのだという。褒められると伸びるタイプのようだ。そして'58年にポールの口利きで、ジョンのバンド「ザ・クォーリーメン」に加入する。もちろんこのバンドはビートルズの前身である。
 ビートルズがデヴューしてからは「quiet beatle」「handsome beatle」などと呼ばれるようになった。なんだかいかにもアイドル・グループっぽいニック・ネームがつけられたものだが、そのまんま、でもある。デヴュー前には、平気でファンを殴ったこともあるというジョージにしては、「ハンサムで静かなる」ビートルという評価は悪いものではない。もっとも一方では、末っ子気質による人懐っこさも持ち合わせていたようなので、デヴュー前の武勇伝は、陰険というよりは、まだ子供だったが故と考えるべきなのだろう。友だちだって多いのだから……
 デヴュー以降は、更にプロとしての意識も出てきたのだろう。口元にチャーム・ポイントの八重歯をのぞかせた笑顔をふりまくようになった。映画「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」のステージ・シーンでは軽快にステップを踏んだりしていたし、来日公演ではファンに向かってニッコリ手を振ってみせたりと、ちゃんと締めるところは締めていた。特に、あの整ったルックスは日本人にはアピールするもので、私の妹を含めて日本の女子にはジョージ・ファンがけっこう多かった。
 次に、いちばん大切な音楽的な部分にアプローチしてみたい。元々身近にジョンとポールという、誰が見ても優れた曲を作るメンバーがいてしまったため、ジョージは敢えて曲作りをしようという気にならなかったのではないだろうか。あるいは、曲を書いても2人に取り合ってもらえなかったのかもしれないが、初期のジョージは作曲に力を入れてはいなかった。それより、ギタリストとしてバンドのアンサンブルに心を砕いていたように思われる。その効果が最初に出たのが12弦ギター・サウンドだった。
 リッケンバッカー360/12…… これがジョージの愛器となって、ビートルズ・サウンドが変わった。元々ジョージは、ジャズでよく使われるギターのオクターブ奏法を取り入れていたのだが、12弦ギターを使えばオクターブの音が簡単に出せる。そうなれば、この楽器を有効に利用しない手はない! と彼は思ったのだろう。アルバム「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」では、「You cant do that」の名演を筆頭に、ふんだんにジョージの12弦ギターによるパフォーマンスを聴くことができるし、シングルB面だったが「I call your name」での演奏も素晴しいものだった。この12弦ギターの響き、なんとなくシタールのそれと似通ったところがある。後にジョージがシタール(インド音楽)に惹かれるようになった伏線はここにあったのではないか、などと考えてしまう。
ジョージの初期の愛器
グレッチ(カントリー・ジェント
ルマン)とリッケン(360/12)
 
 そしてジョージの作曲スキルは、おもしろいことになぜかシタールと出会った「HELP!」を境に顕著にアップしていく。この頃のジョージの作る曲というのは、レノン&マッカートニーの曲と比べて、確かに派手さはない。サビで大きく曲調が変わるようなものでもない。しかし、メロディの美しい良質なポップスを作っていた。レノン&マッカートニーの作品との差別化を図ろうとすることの苦労があったことは想像に難くないが、逆にこれがジョージの曲の特徴となっていった。そしてインド音楽と出会うわけである。
 正直なところ、初めて「リボルバー」収録の「Love you to」を聴いた時は面喰った。モロにインド音楽に聞こえてしまったからだ。しかし、アルバムに納められている曲の流れの中で聴くと、当時のサイケデリック・ブームにピタリとはまった作品であり、佳作であるということがわかるようになった。その後は更にインド風の作品(ラーガ・ロックと呼ばれ、ブームにまでなった!)を作ると同時に、独特のコード進行によるジョージ・サウンドが作られていった。インド文化と出会ったことは、ジョージにとって精神的成長を促し、それが曲作りにも反映されたことも見逃せない。
 その後のジョージの躍進は皆さんご存じのとおり。今日のところはこの辺で一旦ペンを置くことにする。一度で語りつくすにはテーマが大きすぎる。
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