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1970年、大阪で万国博覧会(EXPO70)が開かれた。高度経済成長を象徴する国家的イヴェントとあって、日本中が大騒ぎした。三波春夫の「世界の国からこんにちは」は巷にあふれていたし、CMでも万博ネタがけっこう使われていた。覚えているのは京樽の「太陽の塔、おへそ笑ってはる。万博、かっこええなぁ」というテレビCM。そしてこの年、中学2年生だった私は、父にせがんで大阪へ連れて行ってもらった。
行く前から「万博ガイド」のような本を何冊か買い込んで、下調べをして、大阪へ行くのを楽しみにしていた。今はもうよく覚えていないが、少なくとも万博の象徴だった「太陽の塔」はもちろん、テーマ館、月の石が展示されているアメリカ館やタイム・カプセルを展示してた松下館、フジパン・ロボット館などを見ようと計画を立てていた。ちょうど今でいえば、ディズニー・ランドに行く前の準備みたいな感じだったように思う。 |
いろいろ夢を膨らませて、両親と妹と家族4名新幹線に乗って関西に向かったのはいいのだが、結局ホテルを大阪に取ることができず、京都の四条烏丸あたりの旅館を拠点に2泊3日の万博見物をすることになった。なにしろ日本中から万博に人々が押し寄せている状況だ。我慢しなければならばかった。父はベストを尽くして宿を取ってくれたのだから。しかし、京都から大阪千里までの移動時間は大きなハンデで、朝早めに京都の宿を出ても会場に着くころには、人気のあるパビリオンはどこも長蛇の列。それでも、万博会場には未来の雰囲気がいっぱい満ち溢れていて、子供ははしゃいでしまう。日本初の動く歩道で会場内を移動すれば、竹をイメ
| ージしたサントリー館や葛飾北斎の「富嶽三十六景、神奈川沖浪裏」の絵を建物に取り入れたオーストラリア館、万博のシンボル・マークの桜の花を模った日本館などがあって、見ているだけで楽しいし、IBM館では建物の外に、翻訳タイプライター(日本語で打つと英語に翻訳される)が展示されていて驚かされた…… |

↑オーストラリア館と北斎の浮世絵 |
それだけでも充分だ。結局3日間通って上記の「お目当て」パビリオンは、根性で回った。「月の石」などは列のまま見るので、じっくり観察することはできなかったが、肉眼で見られただけで嬉しかった。その後は並ばないと入れない人気パビリオンには見切りをつけて、ほとんど人のいない東南アジア系のパビリオンに入ってみた。けっこう意外におもしろかったりした。
それと、もうひとつのお楽しみは、いろいろな国の食べものが食べられたこと。その中でいちばん印象に残っているのは、アメリカ館で食べた分厚いステーキだった。その頃になると日本でも、「ビフテキ」という名でステーキを出すレストランもあったが、見てくれはポーク・ソテーのような厚みのものだった。ところがここで出されたステーキはパウンド・ステーキやTボーン・ステーキで、そんな圧倒的な牛肉を初めて目の当たりにして、私は驚きとともに大いに嬉しい思いをした。私にとっての、本当の意味でのステーキ・デビューだった。でかくて、うまくて、大満足だった。
その後'75年の沖縄海洋博、’81年の神戸ポートピア、'85年のつくば科学万博、ついでに’93年韓国の大田国際博覧会(これは特に規模が小さかった)にも行ったが、大阪万博の持っていたインパクトとは、どれも比べものにはならなかった。 |