昭和30年代後半から40年代によくお目にかかった懐かしいものがある。独特の売り口上で家の前を通りすぎる商人たちである。母によると古くは納豆売りや薬の歩き売りというのもあったらしいが、私の時代には見かけなかった。私の記憶の中で古いものから取り上げてみる。 まずは風鈴売り……あのチリンチリンという澄んだ音色を思い出す。おじさんが小さな台車を引いて、時々売りに来ていたのをかすかに覚えている。次は有名な「金魚〜え、金魚〜」という声とともに、金魚売りのおじさんが少し大きな台車に水槽を乗せてやってきたものだった。どちらも初夏の爽やかな夕べ |
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の風物詩だ。 それから忘れてならないのが野菜売りの「千葉のおばさん」だ。毎日毎日、大きな荷物を担いで新鮮な野菜を売りに来てくれた。実家で採れた作物を家庭訪問して売っていたのだ。総武線に乗ると、モンペ姿のおばさん達が大きな荷物を背負っているのをよく目撃した。いつも身体の倍くらいある荷物を背負って、朝早くに家を出て品物を売り切るまで歩くのだ。商売が終わって疲れきって駅の階段に腰掛けて休んでいる姿を見かけると、なんと商売とは大変なものなのかと子供心に思っていた。おばさんが持ってきてくれた野菜は、特にトマトとキュウリが美味しかった。あの頃、塩をふって丸ごとかぶりついて食べたトマトが異常に美味しかったのはワケがあったのだ。母が言うには、「おばさんのトマト」は木で熟して食べ頃が近いのを持ってきてくれたからだそうだ。昔のトマトがやたら美味かったのは美化された記憶ではなかったのだ。スーパーのトマトは青いうちに摘んでいるから味の濃厚さでは比較にならないのだろう。しかし、この商いもやがておばさん達の高齢化に伴い徐々に姿を消してしまった。
あの頃、売り口上が聞こえると、小銭を握りしめてすっ飛んで買いにいったものが2つある。1つは玄米パンの屋台だ。「玄〜米〜パン〜のほや〜ほや〜」という声が拡声器に乗ってかすかに聞こえてくる。私は必死に聞き耳を立てて、音源の場所を特定し音の動く方角を分析して進路の予想を立てて駆け足で追いかけていく。自転車で走り去ろうとするオジサンが笑顔で振り返り、熱々の玄米パンを紙袋にくるんで渡してくれた。白い玄米パンを2つに割ると中にはあんこが入っている。当時、最高に美味しいおやつの1つだった。 もう1つはきびだんごの屋台だ。おでん屋に似た小ぶりの屋台にトレード・マークの小さな太鼓をぶら下げて、決まった場所に現れる。時折小さな太鼓をトコトントントンと叩いて客寄せをする。「きびだんごのおじさん、そろそろ来る日かな」と思うと大抵そこにいてくれた。小さなだんごが串にたくさん刺さっていて、たしか、きな粉がまぶしてあったと思う。これもモチモチしてとても美味しかった。
そういえば長い期間、いちばんよく目にした石焼いもの屋台も最近見なくなってしまった。私はあんまりサツマイモを好んで食べなかったのだが、女性陣がよく買ってきたので半ば強引に食べさせられる羽目になったものだ。新顔では焼きトウモロコシの屋台というのがあった。「北海道姉ちゃんの焼きトウモロコシ」と言って売り歩いていた。このあたりからエンドレステープをスピーカーで流し自動車で売り歩くというパターンが増えてきた。 屋台商売は和物だけではなかった。小さなワゴン車を改造した屋台でホットドッグを売るのも60年代後半からかなり増えた。プールの帰りにこれを買って食べながら歩いたが空きっ腹もあって中々美味しかった。千駄ヶ谷の駅前通りだけで10台くらいワゴン車が並んでホットドッグを売っていたが、サイケなお兄さんが売り子で、どの店で買っても中の具も味も一緒だった。 今も健在なのが豆腐屋さんだ。昔は箱を乗せた自転車で売りに来て、お鍋を持って行って油揚げや豆腐を入れてもらった。最近は若い兄さんが屋台を引きながら時折懐かしのラッパをパフーと吹いて売り歩いているが、愛想がとてもいいのでついつい湯葉とかを買いたくなってしまう。元気な豆腐屋さんを見ていると、まだまだ歩き売りも捨てたものではない。新しい可能性があるのではないかとふと考える次第である。 |