開襟シャツ&昭和エッセイ シュガ・プラム・フェアリ  
 
 エッセイ
  当サイトでは気ままに60年代以降の昭和の思い出をエッセイとして綴っています。記憶違いや思い込
 み、うろ覚えで書いたものもあります。ご理解いただいたうえ、お読みいただければと思います。また、
 このような性質のエッセイですので、記述に誤り等ございましたらBBSでご指摘いただけると幸いです。
  ビートルズ!  ’60s
ビートルズ HELP!  196210月5日、「ラヴ・ミー・ドゥ/P..アイ・ラヴ・ユー」でデヴューした、言わずと知れた「世界一のバンド」The Beatles。日本でのデヴューは64年3月の「抱きしめたい/こいつ」である。ご多聞に漏れず、私もビートルズから多大な影響を受けて生きてきた。なので、このトピックについては簡単に語ることができない。今回は「その壱」という感じで、個人的な出会いについて書いてみたい。
 私がビートルズの存在を初めて意識したのは65年、ちょうど映画「Help!」が封切られた頃だった。それまでも、いろいろなメディア(はっきりしないが、不二家のルック・チョコレートのCMに出ていた記憶がある)で彼らの話題は入ってきていたし、ラジオで彼らの曲を耳にする機会も多かった。それに、大人たちが「雑音だ」とか「男のくせに髪を長くして……」などと言っていたので、その存在は充分知っていた。が、65年当時は私もまだ小学校中学年。
ビートルズと言われても「ふーん」てな感じで……。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴという名前は知っていても、顔が結びつかない状態。で、唯一わかっていたのが、特異な風貌のリンゴだった。そのリンゴのことも、「あのおかっぱ頭、気持ち悪いな〜」なんて思っていた。
 で、なぜ急にビートルズが身近になったのかというと、それは友だちの(当時高校生だった)お姉さんが熱狂的にハマッていたから。その頃いちばん仲のよかったO君の家に遊びにいく度(ほぼ毎日)に、お姉さんにいわば無理やり聴かされたのがビートルズだったのだ。しかし彼女のお陰で私は、ビートルズの初期の曲をあらかた覚えてしまった。子供心に「抱きしめたい」にはシビレたし、

 ビートルズ!
「イェスタデイ」というきれいなメロディの曲の存在もいち早く知っていた。ちなみに彼女はポール・マッカートニーに入れ込んでいて、ポールのお嫁さんになるにはどうすればいいのかを、真剣に考えていた。
 そしてその翌66年、彼らは日本にやって来た。7月に日本テレビでその公演の模様が放映されたので必死で見たのだが、印象に残っているのは来日の大騒動ばかりで、公演内容が今ひとつぼやけている。もう3つ、4つ年上だったら、もっと鮮明に覚えていたのではないかと思うと残念だ。何しろ当時の私にとってみれば、あのビートルズでさえ、若大将や怪獣映画や漫画、それにグループサウンズ、プロレス中継やプラモデルなどと同じレベルの興味の対象にすぎなかったわけだから。しかし、リアル・タイムを生きているということは、こういうものなのではないだろうか、と思う。
 やがて中学生になり、私は改めてビートルズのレコードと向き合うことになる。私はある私立中学に入り、学校の寮で暮らすことになった。生活のすべてが学校の敷地内なので、当然娯楽などというものはない。寮にあった施設といえば、卓球場と娯楽室のみ。娯楽室といっても、畳が敷いてあってそこにおんぼろのステレオが置いてあるだけだった。そこでの寮生たちのささやかな楽しみが、このステレオで持ち寄ったドーナツ盤を聴いたり、ギターを弾いて歌ったりすることくらいだったのだ。ここではよく洋楽のレコードを聴いた。サイモン&  ビートルズ ロゴ
ガーファンクル、ビーチ・ボーイズ、モンキーズ、ママス&パパス、タートルズ、スコット・マッケンジー、アソシエーション、1910フルーツ・ガム・カンパニー、ビージーズ、カウシルズ、カスケーズ、メリー・ホプキン、ヴァニラ・ファッジ、ショッキング・ブルー、ゼーガーとエバンス、……そしてリヴァプール・サウンズ。この時期は正にポップ・ソングの黄金期で、お気に入りのアーティストには枚挙のいとまがない。
 そしてこの頃、私に、それまで意識の底にあったビートルズへの憧れや記憶が一気に押し寄せてきたのである。
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